さすがに自分だって自国の慣れた道ならば迷うこともないだろう。
家を出る前に出した答えがまさにそれだった。
確かに目的の本屋までは何とかバスで行くことができた。それこそドイツやプロイセンに威張ってやりたいくらいの成果だと思う。
だが、そこから家路へつくことというものをすっかり忘れてしまっていた。
親切な本屋の主人から聞いた道を通り、なんとかバス停まではたどりつけた。
しかし交通量が多く、バスが四方八方からやって来ては去っていくため、どの方角から来るものが駅前行きなのかわからない。
込みあがる疲労感か、もしくは不安感からか、ふうっと息を吐く。
そういえば以前、アジアに住む黒い瞳の島国がはこんなことを言っていた。
『遠足は家に着くまでが遠足です』
はじめて聞いたときオーストリアにはその言葉の意味がさっぱりわからなかったが、今ではしっかりと理解できる。
それにしても久しぶりに人ごみに揉まれ長い距離を歩いたせいで、足が疲れてしまった。
横にあった緑色のベンチに腰を下ろす。バスの停留場では、さまざまな人々が並んでいた。
あれこれ野菜や果物の詰まった買い物袋をさげた主婦、がっしりとした体格のスポーツバッグを肩にかけた学生、イヤホンのコードをポケットから耳まで伸ばした若者……。
少し耳をすませると、若者のイヤホンから漏れた音楽がかすかに聴こえてきた。
ジャズピアノらしく、不均衡に揺れるリズムがおもしろいと感じなくもない。嫌いではないな、と思った。むしろ曲名を知りたいとすら考える。
しかし声をかけるのも些か勇気がなく、そうこうしているうちにバスがやって来てずらりと並んでいた人々の群れも、若者も、音楽もバスに連れ去られてしまった。
ふと腕時計を見ると、ちょうど午後の五時をまわったところで少し肌寒い。
あたりもほの暗くなり、街灯のオレンジ色がアスファルトをぼんやり照らしはじめた。
帰り道を辿る人々の長い、いくつもの影を眺めながらオーストリアはふと何か孤独感めいたものを感じた。
こんなにもたくさん人がいて、それぞれに変える場所があって。皆それぞれの家路についているというのに。
なのに、自分といえばひとり、疲れた両足とこころを抱えて家路につくことも出来ずにいる。
「……寂しい、のかもしれません」
ぽつりと呟き、オーストリアは俯く。不恰好にぐしゃりとつぶれた、数冊本の入った紙袋と目が合う。
言い切ってしまえばそれこそ泣いてしまいそうだった。
「見ーっけ」
「……イ、タリア!!」
オーストリアの背後からそろりと腕が伸び、首にまきついた。
思わずその声と腕の主の名前を呼ぶと、彼は「シーッ」といたずら好きな子どものようにくすくすと笑う。
「なぜ、ここに……」
驚いて目を丸くしながら尋ねると、彼は明るい声で答える。
「ローデリヒさんがさみしい、って言ったような気がしたから来ちゃった」
恥ずかしげもなく、彼は言う。再び、泣き出しそうだった。
しかし誤魔化すようにオーストリアは立ち上がり、紙袋を胸のあたりでちゃんと両手でしっかり握り締める。
なにより孤独なんていうものを感じた自分を恥じながら、オーストリアは歩き始める。その隣にはしっかり彼がいた。