貴方の国は相変わらず賑やかです、と目の前の男は言った。
どうにもそれが遠まわしに馬鹿にされているのか、それとも褒め言葉という類に分類されるのか、アメリカには判断できない。
目の前の男はただいつも通りの優雅な仕草でティーカップに口をつけている。
ミルクティーのほんのり甘い匂いが、アメリカの鼻のあたりまで漂ってきた。
アメリカは彼の横顔を見ながら、本当にここが自分の家なのかと思い出してきた。
彼は背中に独特の雰囲気をまとっている。
その雰囲気のせいか、どうにもアメリカには自分の家だというのに全く自分の家にいるような心地がしない。

「そのミルクティーを飲み終わったら、ホテルまで案内するよ」

アメリカの言葉に対し、彼は素直に「ありがとうございます」と礼を言った。
慇懃無礼、という言葉がアメリカの頭に浮かんだ。
そもそも彼がなぜここにいるのかといえば、彼が持つ、天性の方向音痴からだった。
家路についていたアメリカの前を、なにか見たことのある背筋の伸びた後姿が歩いていると思ったら彼だったのだ。
アメリカは主催国として終了し、二時間ほど経ってから会議場を出たはずだった。
つまり、彼はその二時間ほどを丸々歩いていたということになる。いっそ方向感覚のなさにおいては音楽的なセンスの次に天才的だ、とアメリカは思う。
普段ならドイツやらの親しい周囲の国と行動するとの話しだが、どうにも今回だけは予約をとったホテルがま逆の道にあったらしい。
とりあえず歩きつかれただろう、とアメリカの労わりで彼を自宅に連れてきて今に至る。
のだが、彼といえば迷っていたことに対しても全く焦る様子もまるでなかった。
のんびり屋なのだろうか、とも思ったがどうにもカナダとは性質が違う。そうではないらしい。芸術家という生き物は不可思議だ、とアメリカは思わざるをえない。

「来月に、楽団でニューヨーク公演があるんです。もちろん、私も指揮者として同行します」

へえ、とアメリカは頷く。一度だけ、小さい頃にイギリスに連れられて彼のタクトを振る姿を見たことがある。
つんけんとした態度ばかりをとる人間だという偏見が一気に取っ払われた。
表情豊かにタクトを振る姿は優美で、小さいアメリカは彼に憧れた。
家に帰って同じように棒切れを振ってみたのだが、その姿をイギリスに見つかってひどく笑われたのを今でも覚えている。

「ですから、今日のお礼にチケットをお送りします」

その言葉を聞いて、彼がたくさんの楽器の前でタクトを振るう姿を思い浮かべる。
うれしいよ、光栄さ。と、返事をすると彼は表情を少しだけ崩して少しだけ照れ笑いをしてみせた。

「イギリスの分も同封しましょうか」

その申し出に、アメリカは首を横に振った。脳裏に、イギリスに馬鹿にされた過去のことが浮かんでいたからだ。
彼の指がティーカップから離れる。白い、ほっそりとした指だった。
どうやら飲み終えたらしい。ティーカップと紅茶の葉は、イギリスが前にここに泊まったときに置いていったものだった。
コーヒーばかりのアメリカは、そんなイギリスの置き土産に今までまったく手をつけていなかったのだが、意外なところで役に立ったな、とアメリカは思う。

「さ、じゃあ行こうか」

彼は頷き、コートを羽織った。仕立てのいい、彼によく似合うような細身のつくりをしたコートだ。
玄関を出てしばらく歩く。するとどこかから管楽器数本の音が聴けてきた。
ジャズのように気まぐれなリズムなのに、よく耳に馴染むメロディーだった。
民謡ですね、と彼は呟く。そして彼はそのメロディーに歌を口ずさみ、歌詞をのせた。
心地良い音だった。しかし、サックスの音が遠ざかっていく。消えていく音に、少し寂しい気持ちになった。
もう少し、今だけ道がもっと長く続けば良いのに。そうすればもっとこの音を、声を楽しんでいられたのに。アメリカはそんな子どもじみたことを思った。