彼のチェストの中に入っていたシャツに、小さなシミがあることに気が付がついた。
真っ白い地に一点のシミはよく目をこらさない限り、誰も知らないままなのかもしれない。
けれど、彼が着るシャツだと思えば、なぜだかその小さなシミがどうしようもなく許せないような感じがした。
洗剤につけ、丁寧にシミを叩いて抜いていく。
随分遠い昔についたものらしく、その作業を何度も何度も繰り返さなければならなかった。
窓の外の方をちらりと見ると、灰色の空が広がっていた。ここ数日、いや数週間太陽が見られていないような気がする。
まだ夕方だと言うのに人通りは少なく、街頭は電気が切れているようでチカチカしていた。
オーストリアはため息をついた。そして手元を見ると、長らく楽器に触れていない手はまるで自分の手ではないようだった。
以前は手が荒れ、指の動きが鈍るのを恐れて洗剤に触れることさえしなかったというのに。
それが今ではすっかり変わってしまった、とオーストリアは思った。
もっとも変わってしまったのは自分の手だけではない。すべてが、なのだろう。
そうだすべてが、変わってしまったのだ。
しかしそんなことに気が付いたところで、変わってしまったものを惜しむ力も、弔う力も、元に戻す力も、今の自分にはないのだろうと思う。
やがてシャツは本来の白さを取り戻し、あとは干しておくだけになった。
シャツはオーストリアの体よりも、ずっと大きいつくりをしている。そこで持ち主の彼の体つきについて沸々と思い出すものがあった。
ハンガーにかけ、肩の部分が張ると尚のこと彼の体の一部分、一部分が脳裏に蘇ってくる。
節くれだった優しい指、筋肉のついたたくましい腕、がっしりとした長い首。
しかし、果たしてその体は、体の部位は今どこに存在して、どんな風に動いているのだろう。
貧困な想像力の中で、一生懸命そんなことを考えた。
真っ白いはずのシャツは灰色の空で、ひどくよどんだ色をしているように見える。
もっと太陽があれば、と思った。もっと太陽があれば、さっきのシミなどなかったかのようにきっとキラキラと白が輝けるというのに。
しかし、一番愚かしくまた恵まれないのは、そもそもが彼が帰ってこなく誰も着ることのないと思いながらシャツを洗った、そんな自分なのではないだろうか。
まるで、息ができなくなってしまいそうだった。